時事と雑記

[ふと思ったこと] ”格闘技”の発展には、暴力性の排除(ホワイト化)が不可欠。ブレーキングダウンとかは論外。

反社の人たちっぽい画像

どうも。コンチハです。

きょう歯医者の日でした。

歯医者で施術を受けてる最中(拘束されてる最中)にやることなくて現状とは全く関係ない考え事をしていたのですが、たぶん1週間後にはすべて忘れていそうなのでここに文章化してアウトプット記録しておこうと思う。

”格闘技”はビジネス。上がったり、下がったり。

むかしむかし。

かつて自分が格闘技をやっていたころ本当にハマっていて、毎週チャリで一時間かけてGEOの書籍コーナーまでいって格闘技カンケイの雑誌を読み漁っていた。

当時はスマホもなくて、自宅のアパートにはPCはあったけどインターネットに接続していなかったから、「雑誌」が貴重な情報源であった。

それが今はなき「格闘技通信」だったか「GONG」だったか「ボクシングマガジン」だったのか記憶にないのだけれど、あるとき長谷川穂積のインタビュー記事が目にとまって、それが今でも記憶に残っている。

「いまはK-1とか総合格闘技とかが人気ですけど・・・最後に残るのはボクシングです」

実際、そのとおりになってしまった。

K-1はいつの間にか空中分解して、現在は当時とまったく違う運営団体の元で復活してるけど、かつてのK-1とは別物のいちキック団体に過ぎないし。

PRIDEも空中分解して、その後DREAMとなって復活したけどすぐ潰れて、最近RIZINが軌道に乗ってるらしいけどかつてのPRIDEほどの力はない。

どっちも所詮は軽量日本人同士の小競り合いといった印象が拭えず、その勝者を「世界チャンピオン」と呼ぶのに違和感を感じてしまう。

かつてのPRIDEや旧K-1のように海外の強豪ひしめくなか、日本代表が切り込んでく感がない。

なんでこうなってしまったのか?

かつてはボクシングが「空気」になっちゃうくらい「格闘技」が盛り上がっていたのに。

むかしはしょっちゅうテレビで2~3時間の格闘技特番あった気がしたけど、いまは好きな人だけしか見ないでしょ。

むしろボクシングのほうが”ちゃんと”生き残ってる感ある。

それは井上尚弥の存在も大きいけれど。

やはりボクシングが浮き沈みはあってもちゃんと続いているのあプロスポーツ競技としてしっかり確率されてるからだとおもう。

昔の昔、大昔、戦後の時代なんかは「プロレス」が大人気で全国民がテレビの前に集結して熱狂していた時代があったらしい。

いまはそれほどじゃないでしょ?

プロレスファンはいるけど、プロレス人気がピークだった頃と比べると、そこまでじゃないと思う。

それをいったらボクシングだってそうだけれど。プロレスほど落ち幅ないとおもう。

その根本的な原因は「ホワイトさ」にあると思う。

現代は漂白社会。「ホワイト」なやつしか生き残れない。

まずプロレス人気が徐々に下降していったのは「競技」じゃないからだと思う。

全国民が熱狂してた時代は、みんなプロレスを「ガチ」の真剣勝負だと思ってたらしいし。

悪役レスラーはガチの悪人だと信じてたピュアな観客に支えられてた。(ネットのない時代だ)

それにパイプ椅子攻撃や毒霧などの反則・ダーティ要素も現代だと受け入れられないだろう。

現代でそれだということは、あの時代から徐々に「受け入れられない」層が増えていって現代に至るのであろう。

格闘技もそうである。

はっきり行って格闘技の世界は野蛮である。

自分も一時期やっていたので思う。

テレビ放送での扱われ方のせいかもしれないが、明らかに「暴力性」を売りにしてる感ある。

試合の放送前には必ず、両者のトラッシュトークや、過去の因縁などでバチバチな感じを演出する。

その方が客に受けるからだ。

選手の層も元不良とかヤンキーとか、全身入れ墨の反社風なのがカッコいいって風土がある。

スポーツ界隈のなかでもダントツにガラが悪い。

そしてステロイドなどによる薬◯汚染がヒドイのもこの業界の特徴。

ステロイドや成長ホルモンなどのドーピングは法律上「違法ではない」。

大麻などと違って、ステロイド自体は違法ではないため、その競技を取りまとめる運営サイドが厳しく取り締まる必要があるが・・・果たしてそれが実行されているのであろうか。

自分が格闘技を好きだった当時、PRIDEの外国人ファイターたちをみて「すごい!」「こんな怪物たちがいるんだ!」「やっぱり外国人選手と日本人選手の間にはこんな差があるんだ!」と驚愕し、憧れたものだったが、後にそれらが単なるおク◯リの力だったと知ったときの失望たるやない。

単に日本よりも海外のほうがおク◯リ事情が発達していたという先進性にすぎなかった。(もちろんそれ以外のもあるだろけど)

ボクシングや他の球技なんかだと日本人選手が活躍してるのに、”格闘技”では圧倒的な差があったのは何故だろうか。

いわゆる「格闘技」は、プロ・ボクシングや陸上競技みたいな「スポーツ」とは言えないのではないかと思う。

競技ではなくイベント。

プロレスなら全日本とか新日本。

格闘技ならDEEPとかRIZINとかの、それぞれの団体(会社)がやってる興行にすぎない。

そのためドーピングの規制や、競技の公平性なんかもその団体のマイナールールの域をでることがない。

同じキックボクシング、同じMMAでも団体によってルールが大きく異なったりする。

現代は「差別」や「ハラスメント」は良くないという姿勢が強まっている。

「自由」や「平等」は尊いものであり、「露骨な性表現」や「暴力性」などは良くないことだという論調もメジャーになっていきている。

テレビなどのメジャーメディアにおいて、「綺麗じゃないもの」は徐々に排除されつつある。

特定の人たちへの差別と取られるお笑いはNG、性的な演出もNG、暴力的なのもNG。

そうして徐々に漂白化されつつある社会において「綺麗じゃないもの」は淘汰されていくのであろうと思う。

反則も辞さない悪役レスラーを演出として容認する昔ながらのプロレスはもはや大衆受けしない。

パフォーマンスのためにドラッグを容認するような競技性は大衆に支持されない。

見る人によっては嫌悪感を感じるような全身入れ墨の反社ファッションも大衆に支持されない。

観客にリアルな”痛み”を想像させるような暴力性も受け容れられない。

・・・しかしKO(ノックアウト)のような解りやすい見どころがないと大衆には支持されない。

ゆえに、「格闘技」には未来がないのだと思う。

結論としては、野球にたいする「高校野球」のようなものが理想。

学生や一部の社会人がやるアマチュアスポーツ感。

安全で、クリーンで、公平で、なにより「さわやか」な感じ。

それが無いと格闘技は生き残れない。

「武道」とか「武術」のやりかたに学ぶ。

前項のまとめ。

ようは、「これからの時代はコンプラ厳しいんで、ガラ悪いのとか、ダーティで怖い感じは流行らないよ」ってこと。

全身入れ墨でスキンヘッドで、選手本人よりデカいボディガード両脇に引き連れてるようなに憧れる人ばかりじゃない。

その点うまーくやってるのは「武道」の方々である。

武道とか武術って大元を辿っていけば、つまるところ戦うための技術であったはずだ。

ようは、人を◯すための技術にすぎなかったはずなのだ。

本来は、平和な世の中においては無用に産物。むしろ銃規制と同様の理屈で規制されてもおかしくなかったはず。

それをあたかも、「精神修養になる」とか「青少年の育成に良い」とか、「健全なスポーツである」などと都合のいいことを言ってうまいこと社会に受け容れさせた。

もっともよく聞く肩書きは「社会体育」だ。

その肩書きを武器にして「学校」に潜り込んだのが特に旨かった。

まだ未成熟な青少年たちを子どもの頃から柔道や剣道、空手に親しませることで疑いようもなく、それらに対して「良い印象」をもっている人が多い。

「はい。僕は小学校の頃から、クラヴマガをやっています」

っていう人と、

「はい。僕は小学校から、柔道をやっています」

ってやつと、どっちが世間様に印象が良いだろうか。

元はどっちも人◯しの技術なのに。

そこは当時の柔道、剣道のお偉いさんたちが上手(うわて)だったのでしょう。

「実戦」とか「果たし合い」とか、「暴力」の要素・イメージをうまいこと取り除いて「スポーツ」化させることで競技人口は世界へ普及した。

それによって「武術としての有用性、実戦性」が喪失されたと言う人もいるだろう。(世界に普及したということは、それだけ多くの人に対策されるので武術としてはマイナス要素)

しかし、そのおかげで柔道や剣道は「生き残った」。

おそらく100年後にも生き残っているだおろう。

その点、「空手」は上手じゃない。

柔道や剣道のように、あくまでスポーツとして「社会体育」に徹していれば、その仲間入りできたかもしれないのに。

あの人達は中途半端に「実戦」を謳いすぎる。

やれ「敵が3人いたら!」とか、「相手が武器をもっていたら!」とか、試合では決して発生しない想定(空想?)が好きすぎる。

格闘技の書籍コーナーにいくと大半がカラテ関係の本なくらいだ。

言葉を綴るよりも体で実績作ったほうが説得力あるのに。

それに何より「実戦」ってようはストリートファイトのことでしょ?

つまり「喧嘩」でしょ?

喧嘩で強くなる方法、教えますっていってるようなもんだと思うけど・・・わかってやってるのか。

そのくせ「社会体育」とか「少年少女の育成」を掲げてたりする。

どっちだよ!

夜のコンビニとか行くと、習い事帰りの青とか黄色の帯した空手キッズが親同伴で買い物しにきてるけど。

何故に夜やる?5歳くらいの子どもは早く寝たほうが健康に育つのでは?

・・・まあ、それはどうでもいいけど。

「実戦」を追求するのか、「スポーツ」として社会に容認されたいのか、どっちかにしてほしい。

(いちおう)空手に属してた当時すごく思ってた。

「実戦」を追求するほど、特殊な人達、キワモノ感でてきて一般の人は離れていく。

「スポーツ」化していくほど大衆ウケするけど、格闘技としての”ある種”の魅力は薄れていく。

前の項でも述べたけど、これからの時代は後者だろうなって思う。

その点、柔道や剣道は時代を先取りしてたんだなって実感してます。

K-1やRIZINはそのへんなんとかしないと十年後残ってない。

どうしてもダーティなイメージつきすぎてる。(ドーピング、反社、八百長、カネ)

ブレイキン◯ダウンなんて論外だよ!

ネットのショート動画全盛の流行りに上手く乗ったのはいいけど、しょせんはチンピラ動物園のSHOWが一瞬ウケただけで、競技性もないし、誰も憧れないし。

親御さんが3~6歳くらいの我が子に見せようとか思わないでしょアレ?

「よーし、うちの子も中学生になったら!ブレイキングダウン目指して修行させるぞー!」とかならないと思う。

次の世代に引き継がれない。

だから一過性のコンテンツとして消費されて終わるでしょう。

むかし野球やってた父親が、我が子に野球やらせるようにはいかない。

柔道、剣道、ボクシング、球技、陸上は親子で同じスポーツやってるパターン結構いる。

親子で同じスポーツ観戦してることある。(一緒にみるかは別よ?)

でも親子そろってブレイキングダウン観ないでしょー?(笑)

自分の親が観てたらちょっと嫌だぞ?

ブレイキングなんちゃら~は極端な例だけれど、格闘技全般がそういう要素ある。

格闘技=すべて野蛮=スポーツではない、って考えの人だっている。

だからこそ他のスポーツ競技以上にクリーンでなければならない。

他の競技以上にイメージに気を使わないと生き残っていけない商売だと思う。

だというのに・・・

全身入れ墨・・・大麻・・・ドーピング。

これが格闘技だって思われても仕方ないよね。

ワルいやつに憧れるやつもいるけど、それって少数派ですから。

マジョリティに受け容れられないコンテンツは生き残っていけない。

まとめ

まあ、いまはあんまり格闘技興味ないから別にいいんだけどね。

じゃあなんでながながとお気持ち表明したのか?

歯医者が暇すぎて、ずっと考え事してたら思いついちゃっただけ。

1時間くらい考え事してたから、このまま忘れ去っちゃうのもったいないかなって記録に残した。

たぶんあとになって見返したら「馬鹿みてえなこと書いてるな」って思うのかもしれないけれど、まあそういうもんさ。

いま同時並行的に書いてる記事(日記)がいくつかあって、

①ベースフードのレビュー

②ダイエットを決意&進行状況

③「国」とは何か

④男女平等とは何か

色々平行して書いてたけど、ちゃんと形にしようとすると「生みの苦しみ」があってなかなか世に出せないのよねー。

頭の中でグルグル考えてるだけなら色々浮かんでくるのになー。

まあ、でもいいや。

また。

どこかで。

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